2006年2月13日(月)
NPOフォーラムに参加して

先日参加させてもらうことができたNPOフォーラムでかなり刺激を受けびっくりしたことがたくさんあったので、その報告を兼ねて。
このフォーラムに参加することになったのは、国際自然大学校の知り合いから声をかけてもらったためで、日本・ノルウェー・オーストリア・アイルランドの4カ国のNPOに関わる若者たちが集う国際ミーティングだった。
4日間にわたり、日本と各国のNPO事情について意見交換をすることができて、本当にありがたかった。多くの新発見に出会った。
例えば、ノルウェーには”ニート”(若年無就業・無就学者)は社会問題になっていないということなどは、正直驚きだった。ニートは存在しないと言っても良さそうな雰囲気が感じられた。
大きな理由としては、親は子どもを18歳までに独立させることが慣習となっているため、子どもも18歳になるまでには、独り立ちできるよう心づもりをして生きる。
親に養育をしてもらえる限られた期間の中で、子どもは学校に行って勉強できることが楽しくて仕方ないし、仕事を早く覚えることにも関心がある。というわけだ。
ニート問題は先進諸国で共通かと思っていたが、そうではなかった。
それから、日本で今後これは大切だと思ったには、”市民教育”であり”経営者教育”という発想だ。
今の日本の団塊の世代たちは、とにかく消費サービス社会に馴れすぎてしまって、もう一方の大切な立場を忘れてしまっている。良き”消費者としての教育”はメディアから様々な形で受けてきているが、社会を構成しているメンバーとしての役割という概念がない。社会に参加するとか、社会を作る意志能力をほとんど持たない。
この精神的欠陥が、地域を崩し、はては国家を崩すことになっていく。
誰が税金を納め、国家や公共組織をつくっているかと言うと、それは市民であり納税者なのだが、では納税者はどうやって納税者になっていられるかというと、それは企業があるためだ。その企業を企業たらしめているのは、経営者だ。だから自分で自活している自営業者はもちろん立派だ。そして人を雇用して納税者を生み出している経営者は、さらに、法人税も払えるようにシステムを作っているのだから、少なく考えても二重に偉い。なくてはならない存在なのだ。
それがわかれば、日本の未来を明るくするためには「経営感覚をもった人材」を増やさないといけないという理解に達する。企業経営者・地域経営者・NPO経営者が人々の憧れとなるべき社会が健全であり、どんどん自立組織を創ってもらいたいのが、現在の社会の隠された願いなのだ。
経営者が多くなれば、税収は上向くし、企業がたくさんできれば人手不足にもなり失業率も減少する。実に明快なことで、これはNPOが公益の担い手として活躍が求められていることと同じだ。
すなわち、負んぶに抱っこをしてもらおうとする人が増えれば増えるほど世の中は全体が貧しくなるし、自分で何とか頑張ろうと努力する人が増えれば増えるほど世の中は明るく活発になり豊かになっていく。言い換えると、「公務員は責任をとらなくても良いから」とか「楽そうだ」「失業しないから」という理由で、最近は中学生の将来なりたい人気職業になってきているようだが、非生産人口である公務員が増えれば増えるほど、当たり前のように社会は貧しくなっていき、それは旧社会主義国家で社会実験済みの事実だ。
そういうことを、市民自治先進国ではいち早くから気づいている。
日本では最近、経営者はヤリ玉にあげられ、なんと言っても代表取り締まられ役の地位に甘んずる他ない。まったくおかしな現実だ。人を活かし世の中を潤す人々が多ければ多いほど喜ばしいことなのに、日本では経営者になろうとする勇気をそぐことばかりメディアはとりあげる。親も社会も経営者を育てる教育はしない。大丈夫なのか?
現実の世の中は、ハイリスク・ハイリターンであり、反対にローリスク・ローリターンである限り正常だ。しかし、現在までのところ、我が国のパブリック・サービス・システム(公務員制度)はノーリスク・ハイリターンという現実離れしたありえないシステムを保っている。
日本はこのために、どこか地に足が着いていない感覚に包まれている。極論すればノーリスク・ノーリターンでなければならない。NPOが活躍すればするほど、そのことが良く理解される世の中になるだろう。当然の流れである。
公益に殉ずる我々NPO関係者は人件費が低い。公益組織とはそうでなければもともと運営ができないものなのだ。
なお、公務員の解雇に関して否定的な方に申し上げる。日本の公務員は優秀だということは、同意してもらえると思う。優秀な人は民間企業で活躍の場があるし、何しろ起業をしてもらえると期待できる。地域のために、日本のために、ぜひ進んで活躍していただきたい。

2005年8月12日(金)
二度とないめぐり合わせ

久しぶりに横浜から叔母さんと姪っ子が郡上に遊びにやってきた。都会育ちの姪っ子には、こんな田舎の自然は虫だらけでさぞかし刺激が強いに違いないと思っていたら、案の定、4歳になる私の娘と共に蚊でもアブでも蝶々でもキャーキャー騒ぎ喜んでいる様子だ!?
さきほど、みなで夕食を囲んでいたときのこと。窓の網戸に一匹のコガネ虫がひっかかっているのを私が見つけ、それを娘たち二人に手渡そうとした。「ウァー!キャー!」と二人とも怖いのかうれしいのかわからない騒ぎようだ。娘が恐る恐る手を伸ばしてきた。私の方を見上げて「かまない?」と聞く。「大丈夫、かまないよ」と言うと、娘はコガネ虫をそっとつかんだ。(さすがに田舎育ちだ。勇気ある。)コガネ虫は大分長い間、網戸にひっかかっていたのだろう、干からびてもう動かないと思ったが、そのうち足をもぞもぞしはじめた。強靭な生命力だ。
。姪っ子は怖くて、もう遠くまで逃げ出している。娘はそっとコガネ虫を手にした。さて、つかの間の後、せっせと食後の洗い物をしている家内のところへ、娘が大切そうにコガネ虫を両手で覆って持って行った。「ママ、見て!ともだち・・」と、その瞬間の出来事だった。娘の手からコガネ虫がころんと床にころがり落ちた、私が「あっ」と次の言葉を発しようとしたが間に合わず、「なあに?」と下に虫が落ちたことを知らない家内の足がコガネ虫の上にのしかかった。「!・・クチャ」という音がし、家内がそ知らぬ顔で、「あれ?」といって、どかした足の下には、はらわたが飛び出した、ひじゃけたコガネ虫の姿があった。
娘は一瞬、呆然と立ちすくし、もう一度コガネ虫を見た後、大きな声で泣き始めた。「うあゎーん、やぁーん、うわーぁ」と泣く泣く。「コガネ・虫・さんと ともだち ・・・あーん」と泣き止まない。と、そこでなかなか気の利く優しい姪っ子が手を引いて、「じゃぁまたコガネ虫 みつけにいこう」と窓のところに連れて行ってくれた。娘も気を取り直して、「うん」とついていく。
「あっ、いた!」と姪っ子。やれやれ、良かった、とほっと一息私もおもったのだ。姪っ子は怖いので、「おじちゃん、来て」と私の手をひっぱっていった。まぁさっきとさほど変わらない大きさのコガネ虫がいてくれた。私は手にとって、娘に「ほら、コガネ虫」。次の瞬間娘の喜ぶ顔を期待して、コガネ虫を乗せた。
娘が瞬間、集中したのが分かった。「さっきのと違う!さっきの・・・」とまた泣き始めた。「そうかそうか。確かに、ちょっとだけ大きいかもしれないなぁ・・」と言いながらも私は、また次のコガネ虫を見つけた。大人が真剣に探したら、早いぞ!!今度は、さっきのと全く同じサイズだ。自然物に慣れている私の目からすると、実際はほんの少しだけ一番はじめのよりは、金色っぽい。一番はじめのはさらに青みがかかって、確かにきれいだった。しかし、この程度ならうまく娘を満足させられるだろうとおもった。
娘の手の上におき、顔を見た。今度は少し落ち着いて、そのままうなずいて、持っていった。やれやれだ。としばらくすると、「ちがーう、さっきの・・・さっきの・・・ともだちになったの・・・」違うと言うのだ。何が違うというのか、わからないが、さっきの個体ではないことが娘には気に入らない。同じコガネ虫なのだが、違うと言うのだ。これは当分泣き止まないぞ。
そのうち姪っ子が、次の遊びを提案してくれて、今は二人でよろこんで駆け回っている。
と、これだけのお話。

が、その後、父が、孫娘が何をそんなに泣いていたのかと私に尋ねた。ことの次第を話すと、「そうか、それは泣いてもっともなことだ。それで普通なんだ。安心した。」と言った。

 私も、そう思った。子どもは、一瞬にして他でもない、その「虫」と友達になることができるようだ。命の出会いというのは不思議だ。他でもないその人、その虫でないといけない。他に代え難いことがある。(恋愛もそうかもなぁ・・)
生物的に分類学上は、まったく同じ種類のコガネ虫であることは間違いない。研究者からしても、コガネ虫の個体差などそうは関心のあることではないだろう。しかし、そうとて微妙な個性があって、全く同じだということではない。
これはヒトでも同様で、心を通い合わした相手は、かけがいがなく、一人一人が違う意味をもってくる。
 
 娘は、一匹のコガネ虫を通して、命について何かを悟っただろう。

おそらく、あのコガネ虫は網戸にひっかかった足が抜けず、私が見つけなくても明日にも干からび死んでいただろう。
けれども、命の最後の瞬間、娘と出会い、そして娘は友達になったコガネ虫に、声を張り上げ、真剣に泣いて、泣いた。
コガネ虫の魂に、なにかが届きはしなかっただろうか。娘の魂には何かが届いたような気がする。そうに違いないと信じる世界観に私は住んでいる。

 今回は、小さな虫と小さな子どもの世界の中のお話でした。おしまい。(写真は本文とは関係ありません)












































































2005年6月11日(土)
田舎での野外活動は危険か?

 郡上のような田舎での野外活動は、危険がいっぱいだと考えておられる親御さんたちがおられる。管理されていない野外は、いかにも事故にあう危険が高いようなイメージをお持ちのようだ。
果たして、自然に近い田舎やキャンプ場は人工の都市よりも危険で人が住みにくい場所なのだろうか?

 登山活動では、しばしばクライアントから「安全宣言を出してもらえないか」とも要求されることがある。

もちろん、野外活動におけるプロフェッショナルたちは、そんな宣言など出すはずがない。自然の中においては、リスクは参加者その人によって変わってくるからだ。

 さて、都市環境の事故と自然環境の事故とでは、種類も違う。都市環境でおきる事故は、老若男女を問わず、無差別の様相となる。テロのように、先日の列車脱線事故のように、確率的に平等に近くなる。対して、自然環境の中での事故は、歴とした不平等な要因に基くものだ。死亡リスクには、差がある。
危険を察知する能力があり、経験が豊富で判断力に優れ、体力のあるものは、もっとも生存率が高く死亡リスクが低い。乳幼児や老人、病弱な者から、そしてまた経験の浅いもの、判断の鈍いもの、状況を的確に認識し回避する行動を伴えない者から、事故に巻き込まれやすくなり、危機的状況から脱出できる見込みはより低くなる。すなわちリスクが高くなる。
 こうしたことから、古来、人は自然は厳しいものだと言ってきた。自然は不平等で、摂理に裏付けされているから厳しい。
 地球という自然環境の中で局所的に、人が作り出した都市環境は、自然の恐ろしい摂理からわが身を守ってくれるという幻想を生じさせ、やがて命の感覚をも麻痺させてくる。都市環境の中でおきる事故や災害は、まさに人為によって、無差別で平等なものとなってきた。原因はすべて人為に帰着しえる。しかし、それは観念の所産であって、亡くなった命にとってみれば結果的に道理を伴っていない。

 キャンプをする意義は何かと問われれば、一つに、自然の厳しさを身をもって感じることそのものだと私は言う。都市環境に住み慣れた者にとっては、幻がひと時雲散し現実を見据えることができる貴重な機会になる。厳しさの裏には、はかない命がつながりあって永続的に展開される大自然の奇跡、世界を感じる心を持つ自分、今生きている瞬間の喜び、そして多くのものへの感謝が満ちること、その気付きがある。

2005年6月4日(土)
暮らしの幸せ

「人事院が防止マニュアル」 人事院は2日、国家公務員の自殺防止のためのマニュアルをまとめ、各省庁に通知した。
と6月3日付けで報道があった。
日本の自殺率の高さは世界でも上位を譲らないが、日本は幸せを感じる生活を送ることがなかなか難しいお国柄になってしまっているようだ。
為政者は、これを恥ずべき事と考えなければならない。
自らの国の民が自ら命を絶っていく現実を招いた原因は、日本の国家運営システムの欠陥と私は考える。

何を隠そう、毎年秋〜冬の間、メタ森には翌年春からの新たな就職先として応募を検討している方達からメールや電話で頻繁に連絡が入る。
銀行員からもいただく。岐阜県職員からもいただく。



私たちは安易にお勧めはしない。なぜなら生涯賃金が公務員の約2分の1に減ってしまう現実があるからだ。メタ森に携わる人たちは、私も含めて恥ずかしながら決して金銭的に裕福ではない。
けれど、だれも特に自慢はしないが、やりがいがある日々を送らせてもらっている。
子どもたちの笑顔があり、職場は自然の中だ。
体験活動リーダーの仕事の内容は、激務だ。体力も必要だ。フィールドは自然だが相手は人間だから、全く基本はサービス業だと言える。
早朝から深夜までスタッフは頑張っている。
まずは、いきなりやめないで、体験活動を支援するボランティア(郡上体験活動支援員)になってみることをお勧めしている。
しかし、そうして大手銀行を辞めて人生のギアチェンジをした人もいる。



行政職員の職務は、パブリックサービスなのだが、内部事情を聴く機会が度々あるが、現在ではそのような本来の使命や役割、責任感が失われた職場になってきているようだ。

こうした中で、人生の半分くらいを費やすであろう自らの職業では、社会的存在価値を見いだせない。
本当に人間は、パンのみに生きるにあらずだ。

2005年5月18日(水)
今年はビシッと決まってる!

今年は、従兄弟のつてで、陸上自衛隊金沢駐屯地に3泊4日で、隊内生活体験をさせてもらってきました。

 

ご覧下さい。その成果です。↓



昨年までのダラダラした風景が一変されました。
うれしい!!
 新人研修、ニート対策には、
自衛隊研修が・・オススメ。
(私も全く同じように受けて参りました。夜間行進も今ではありがたい思い出です)

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