1961年(昭和36年)当時八幡町観光協会が、市街地近くで運営していたバンガロー20棟を譲り受け、現在の地へ運搬し、それに新築十数棟を加えてのオープンでした。
その頃は、日本経済の成長期で郡上地方へも、都会の大手企業が、スキー場や別荘地、ゴルフ場等、私達には想像すら出来ない大金を投入し、大開発が行われた時代でした。郡上でも多くの人々は、それらの大開発を誇らしげに歓迎していました。
この様な時代の波の中にあって、親父は「これでは郡上は、都会の大資本に食われてしまう。」と嘆いていました。
そうかと言って、零細な私たちには、これらに対抗する手立ては何も有りません。
そこで、私達親子二人で話し合い「如何にお金を積んでも出来ないもの、お金で勝負出来ないものを」との考えから、キャンプ場に、高額な施設に代わり、寿命の長い大木を育てようと、将来に夢を託したものでした。私は25歳前後、親父は70歳近い年でした。
親父は、一つの仕事を2代、3代かけて成すことは、素晴らし事ではないかと、己の年のことは一向気にせず、大木の木陰で、人々が楽しんでいる様を想像し満悦していました。
その頃、我が家は山林用苗木作りを業としており、この地がメタセコイアの適地であることを知っていたので、植栽樹種はメタセコイアに決め、百数十本を植えました。その後挿し木で増し、今では実生が育ち増え続けています。
それらの木は総て、順調に成育し、40数年の間に、大きなものは、胸高直径1mを越す木も何本か出てきて、木陰を作ってくれています。当初私達が予想していた以上の成長ぶりです。
後50年もすれば、胸高直径2mを越す大樹が200本以上生育し、恐竜が歩いていた太古の森の様相を再現してくれている事でしょうから、その様な光景はきっと50、100年後の人たちに感動を与える事と思います。
そうして、この大木の様相は、人々に安らぎを与えてくれるでありましょうし、訪れてくれた人へ感謝し、お客様の幸せを願うと言う、創業時の願い「訪れる人に安らぎを、去り行く人に幸せを」(現在、郡上八幡自然園の正門、門柱に掲示してあります。)は、これからも入場者を迎え、創業時の願いが、忘れられず、引継がれて行く事と思います。
現在の経営・経済学は、如何に利益を上げるかをベースに構築されていますが、郡上八幡自然園の経営理念は経営・経済学から全く逸脱し経済学者先生から失笑されることでしょうが、独自の経営方針を貫いています。次に、概略を記しますので、笑いのネタにして下さい。

先述の様に、お金では作る事の出来ない、大木を育てたり、地元の素材を使い、時間をかけた手作りの施設等、大量生産製品は極力避けています。

求められているものは何か、その中で、自分達に出来る事を常に探しています。

利用者が増加しても、排出する焼却ゴミは半減しています。
分別することにより、焼却ゴミを60%減少出来ました、又園内で使用した水は総て浄化し、汚水は排出していません。浄化施設は県条例が出来る以前から、自主的に施設を建設しています。

お客様はもとより、働いている人たち、出入りの業者に、如何に安心して、喜んで頂けるかを目指しています。キャンプ場は、個人客から団体と様々なお客様の利用がありますが、夫々の目的が違うため、総てのお客様を同時に満足して頂く方法は見つける事はとても困難です。そこで、最も安心、安全の内でご満足頂くには、客層の分離、個人と団体は、日を別にして使って頂いています。空き棟があっても、同類客様以外はお受けしない、売上げを増すより、トラブルを無くした方が良いと考えております。

現に利用して頂いているお客様を大切に、使用料に宣伝費を上乗せするよりも、宣伝費を掛けない分、割り引く方が、お客様に喜んで頂けると思っています。
設備の改善、改良は常に行っていますが、10年來、基本的な料金は変えていません。

郡上八幡自然園の営業マンはお客様です。
営業部門は、お金を頂いたお客様に無料でお任せしています。
皆様のお陰で、来年度も多くのご予約を頂いております、有難い事です、このご期待に沿えるよう、来年は、今年以上きっとご満足頂けるよう取り組んでいます。ご恩返しです。

野外活動の案内・企画は全国区の若者が担当しています。
施設の維持管理はシルバー会員により、安全と清潔が維持されています。
食堂の調理は地元の料理好きのお母さん?(おばさん)達です。

経理は基より、施設、衛生面等、監督官庁の指導以上に整備する様、配慮しています。
秘密が無く、明朗な環境は、総てがスムーズに運営出来、余分なエネルギーが要りません。
以上、経営方針の一端ですが、今では、この様な思想の会社は少数派と思います。
社会の基軸が、「お金」から、「心」へ推移し、我社と同類項の会社の数が増し、社会に台頭して来る時代の到来を待ちながら、ゆっくりと歩んで参ります。

父三浦太門は、食事も寝る間も惜しんで、ただひたすらにお客様に喜んでもらおうと園の施設設備の充実を図って来ました。これは、息子の私が見ていても度を過ぎているかもしれないと気付いたことは成人してから他所で働いたから分かったことで、子どもの頃は父親というものはみんなそういうものなんだとしか思わず育ってきました。
 しかし、この父の努力と熱意なくして今の自然園がなかったということは言うまでもありません。このような施設をほぼ自らのアイデアと労力で築き上げた父とそしてそんな父に献身的な協力をして会計からあらゆる雑事までを配慮しながら支えてきた母、それから雨の日も雪の日も一生懸命にそんな実兄夫婦と共に自然園の発展に尽力された叔父さん夫妻に感謝いたします。

 さてそこで、父は今でも「仕事が趣味だ」と言ってほぼ一年中休みなく自然園を愛してやみません。本人にとっても、夢中で取り組めることがあることは幸せなことでしょうし、昼夜問わず、とことん施設(お客様)のことを考える人が一人でもいるところだと、(私が言うのはヘンですが)お客様は安心してお過ごし頂けるでしょう。 
 私はそんな父の後ろ姿をみながら郡上の自然の中で幼少期を過ごしました。

 家の近くの、長良川から引かれた井川には、白く輝くバイカモの水中花が咲き、川底には天然記念物のカワシンジュガイやシジミがいたるところに棲んでいました。隣近所の友達と園の裏山にオヤツを持って登ることが缶蹴りやSの字遊びと同様に私の遊びの一つでした。
 裏山は秋になると、広葉樹の落ち葉が自然に降り積もってふかふかの尾根道が出来て、それを裸足で駆け抜けて飛び跳ねていた少年時代でした。

 今の登山道はこうして私が子どもの頃に偶然発見したルートも使われています。長良川で、オオサンショウウオと格闘したり?!夕暮れにうなぎの仕掛けを仕込んだり、存分に自然の中で遊んで来られたことは幸いでした。
 さて私は環境コンサルタントとして、原発やダム開発、河川計画等に関わる仕事を経験しながら東京・大阪の都心で働いておりました。
 当時、園長の父は心臓の小発作を繰り替えすなど手術をしなければならないほどに体力面で心配があったため、私は結婚を期に地元に戻って来ました。(その後、手術のお陰で以前よりも元気になり、今では当時のことなど信じられないくらいです)
当時の勤務先にはそのような言い訳をしましたが、内面的には日本の公共工事の思想そのものに対する疑問(自然環境に対しての工事の有り方・手法)にいろいろと私自身が思うところがあったということが大きかったというのが大きな要因でした。設計思想が生態系と結びついていないということに気付いてしまったからです。
 今でも大規模公共工事自体を不要というつもりはありません。ただ、そこに生態系との接続を考えた思想がしっかりとなく、表面だけの景観主義でなんとか世論を乗りきれると踏んでいるところが残念なところでありました。これは私が勤めていた「地球環境コンサル」を標榜していた会社でさえもそうであったので、日本の公共工事の思想レベルであり、博士でもない一介の技術者が一人でとやかく言ってもどうしようもないことだと思い知らされ、このまま過ごすわけにはいかなかったのです。
 私はこのような公共工事の在り方が変わるためには、真正面から批判するのではなく、もともとそのような思想になってしまう価値観を変えていかなくては話にならないと考えました。日本の価値観を変えていくなんて一人の人間が語るには荒唐無稽で誇大妄想狂扱いされかねないので、こんなことは大っぴらに真面目な顔で語るものではないと思います。ここでつぶやくだけにします(笑)。
でも、私は少なからず出来るチャンスがあると思ってのことです。

 その頃自然園は、学校団体様の集団訓練を目的とする「野外学習」の場として徐々に利用校が増えていっている時代でした。年間約2万人程の小中学生たちが郡上の自然に来てくださる。これを絶好のチャンスと考えずにはおられませんでした。

都会から来てくださる若い人たちが自然園でされる経験は、きっと都会(主に東海地方の方が多いのですが)の方の、自然に対する見方を変えて行ってくれるのではないかと思いました。それには自然園で経験される体験の内容が重要です。

 以前は学校団体のされる行事はいたってシンプルでした。一に山登り、二に川遊び、それに父が考案したいくつかのイベント的行事と、キャンプファイヤーが定番というものでした。
 メインとなる活動は「自然と触れ合おう」という目当てとは裏腹に、実態は苦行に近い一列行進の集団登山が多く、ですから自然園に泊まりに来た生徒さんたちは郡上と聞くと、大変つらい目に会ったというイメージが定着していくのではないかと心配だったのです。
 そこで、今ご用意しているような個人選択制の、多様な自然体験活動プログラムが開発されるようになりました。

 ところで私が帰ってきた当時、経営的には、祖父と共に父母が経営し、叔父さん夫婦もあわせての共同経営となり、加えて地元のパートさん数名によって無理なく回っていましたが、その後は時代が少しづつ大きく変わり、野外教育分野でもソフト的サービスのニーズが急速に高まってくるなど、それまでの感覚では理解しにくいほど現場のニーズは変化をし始めていきました。
 
 以前は、学校様が独自で企画開催されていた野外活動は、安全性の面やリスクコントロール的意味合いから施設側も大きく関与をする必要が出て来ました。また近年では食物アレルギーも細かな対応が必要になってきています。良かれと思ってすることが、大変なお節介になったり、思わぬ事故につながりかねないことなど、単純明快な従前の価値観によって「良心」の押し付けをするサービス方式では、もはやお客様へのサービスとはならなくて、結果的にギャップが生じる事態も見受けられるようになりました。所謂、価値の多様化の時代が地方の小さな野外教育施設にも始まってきたけでわけであります。

 そこで施設と共に、あらためてお客様目線のサービス提供のシステムを構築し、ゆるやかな集合体から組織としての受入体制を築く必要が出てきました。こうして自然園のフォーメーション(組織化)が始まりました。
公共教育関連のサービスは、手間がかかる割りには薄利どころか、そもそも事業として成り立ちにくく、利益が出しにくい分野の一つであります。例えば日本の全学校が完全民間化をしたらどのような未来が待ち受けるかはたやすく想像することが出来ます。

 そこで私は、利潤が見込めないがこれからの時代に大切になる自然体験活動支援部門は、專門のボランティア活動組織としてNPO法人化を行うことにしました。当時はNPO法人自体が出来たばかりの法律によるものでしたので、郡上では第一号、周囲で理解してくださる方もほとんどいない状況でした。理解どころか、「お前たちはPLO(パレスチナ解放機構)と一体どういうつながりがあるんだ!」と地域の高齢の実力者たちから詰問されたのは今では笑い話です。地域行政も自分たちへの批判団体かと思われて、最初は理解されるどころかなかなか大変だったものです。

 さて、この取り組みはお客様をして、こんなにレベルの高い活動を提供できるところは日本で他にないのではないかとの評価を頂くまでになりました。当時の職員やボランティアさん達、心ある支援をして頂いた方々のお陰です。先日、当時通学キャンプを開催していた頃に参加してくれた小学校5年生の男の子が立派に成人して、「自分も子どもたちに何かしてあげたい」とボランティアを志願しに来てくれて感激いたしました。
設立から7年が経ち、私が代表を辞めたNPO法人は、その後は自然園から場所を移され、新しい理念を掲げられて活動中です。(名前は当時のままですが、NPO法人メタセコイアの森の仲間たちです)
 その後、私と残った職員ですぐさま、もともとの趣旨に沿って、自然園直轄の野外学習支援部門を再組織しました。こうして学校団体様向けの支援事業をさらにパワーアップしながら変わらず提供を続けさせております。現職員の「子どもたちに楽しい自然体験の思い出を安全に・・」と願い、真摯に取り組んでくれる姿勢が通じたのでしょうか。民間事業体が行う活動でありながら、再びボランティアさんが多数関わってくださることは、私たちの取り組む事業が利益第一を目的とするものではなく、公益的なものであることを理解してくださるからだと感謝しております。

 最近つくづく思いますのは、私どものような零細企業であればあるほど企業の存在意義は、一にお客様、そして二に従業員の方、三に地域のためだと云うことです。経営者というのは零細企業においては、全責任を取るというのが人生にかけられており、そのような一族郎党全面的リスクに見合った報酬は金銭面としてはとうてい受け取れる余裕などありません。だから「幸せ」の価値は、金銭では計れないと言わざるを得ません(笑)これが日本スタイルなのです。
 私はこのような人や地域のために働ける仕組づくりに携わっているのですが、これはスリルと充実感を伴うものです。欧米流のビジネスとは全く違うところでしょう。

2013年(平成25年)3月、70歳を超えた父は私に園長を譲りました。今日も生徒さんたちが喜ぶようにと、カブトムシハウスの設計をしていたり、友人の養蜂家と一緒に園内で蜂蜜絞りをして満足そうです。

なかなか、父のように「人に喜んでもらうことを喜びとする」までには至りませんが、幸い、熱意のある職員たちのお陰で私自身も叱咤激励され今日をしのぐことが出来ています。
どうか、お客様が今日も安全に、ワクワクするキラキラ時間を自然園で過ごしていただけますように。それから自然園で働かれる従業員の方全員が満足な職場になりますように。微力ながら努力してまいります。

そうした中で、私がずっと願ってきた、生態系と接続された自然観を持って生きる人たちが少しづつ増えていったら、私はとても満足です。
                                       

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